旅と文学
机の引き出しに、小さな文字で「ナカソネ」と書かれた1ドル紙幣が眠っている。私は時々これを見て、39年前の小学生だった自分を思い出す。「僕の住む沖縄では、日本のお金とは違うお金が使われているんだよ」と、当時沖縄から東京にやって来ていた大学生ナカソネさんが、私たち小学生を前にして沖縄のこと、そしてさまざまな苦労話を語ってくれた。
話を聞き終わり、私はナカソネさんに「そのお金、記念にください」と唐突に申し出た。今考えれば当時1ドルは360円、あれこれとお金を工面しながら東京で学んでいたナカソネさんにとっては、私の申し出はありがたい事ではなかったはずだ。しかし、「君はいつか沖縄にくるんだよ。そして、沖縄で活躍してくれたら嬉しいな。これは君と僕、そして沖縄との架け橋の記念だよ。」そういってナカソネさんは笑顔で1ドル紙幣を私に託してくれた。私はその深い意義まではわからず、ただただ不思議な紙幣をもらった事だけが嬉しくて、帰宅後サインペンで「ナカソネ」と書いたのだった。
それから10年後、国立大学最後の医学部づくりが琉球大学で行われ、私は何かの力に導かれるようにして沖縄にやって来た。かつて国際通り沿いにあった国映館の前で私はバスを降りた。降車後見上げた沖縄の太陽は、キラキラとオレンジ色に輝き、ずいぶんとまぶしかった。そして街はなぜだか妙に白く輝いて見えていた。あの日あの時、自分が見た国際通りの光景と、街のざわめきが今でもふと目の前に蘇る。
内地人の私にとっては異国であり、全く未知の世界であった沖縄で9年の時を過ごし、たくさんの沖縄人の友人、恩人と輪を広げることができた。そして今回、私の著書「『古文』で身につく、ほんものの日本語」が縁で、「唐獅子」への執筆依頼をいただいた。もしかしたらあの1ドル紙幣、そしてナカソネさんとの出会いが、私と沖縄をつなぐ原点なっているのではないかと思えてならないのだ。こうした何げない人との出会いが人生を紡ぎ出す。「人生は、人とのつながりの旅だと思ふ」。少し文語調のこんなフレーズが、今の自分の「想い」をあらわしてくれそうだ。