今回は、5月30日に沖縄大学で行う「言語コミュニュケーション」の講義の予習ガイドをブログに乗せておきます。当日は千葉大学の土屋先生のご厚意、事務局の大川氏のご配慮でSKYPを用いたセッションを予定しています。
私の念願だったSKYPセッションです。うまく繋がることを願います。
「言語コミュニケーション」論 (2018年5月30日)
~「就活その前に」コミュニュケーション力を強化せよ!~
この講座の目標。
(達成目標)1: 「言語コミュニュケーション」の本講義の中で、今回は「コミュニュケーション」に重点を置いた講義とします。そこで、この講義を通して「コミュニュケーション」の意義を各自が認識できるようにしましょう。
2: コミュニケーションの多様性と複雑さについて理解できるようにしましょう。
3: コミュニュケーションの根底として、「自己分析」をしてみましょう。
4: 他者とのコミュニュケーションを通して新たな学びが出来ましたか。
5: 上記のことを踏まえて「就活」のその前に、「仕事」って何だろう?もっと突き詰めれば「生きるって何だろう?」そんなことをテーマにした討論を通して、
『自己分析→他者の意見を聞く→再度自分の意志とのすり合わせ』
こうした流れの中で、「コミュニュケーション」って何だろう?そんなことを考えてみたいと思います。
★今回の講義ではSKYPを通して、
沖縄大学の講義室と千葉大学の学生とのコラボレーショントーク・セッションをします。
「コミュニュケーション」に相手の情報は欠かせません。事前に互いの大学についての知識をつけておきましょう。
沖縄大学の 千葉大学の
URL:http://www.okinawa-u.ac.jp/ URL:http://www.chiba-u.ac.jp/
⇒皆さんと一緒に、これらの目標に少しでも近づくような講義にしてゆきたいと思います。
★0:まずは準備体操
⇒皆さんとのコミュニュケーションの根底として、講師である私のことを少しお話しましょう。
【プロフィール】
(1)氏名・出身・学歴
① 氏名:鳥光 宏(とりみつ ひろし)
② 1959年(昭和34年)、東京都生まれ
③ 琉球大学医学部(保健学科)卒、法政大学文学部(日本文学科)卒
(2)経歴等
① 幼い頃、両親が入院し、電気・ガス・水道というライフラインの全てが止められるなど、貧乏のどん底を経験する。
② 祖母に育てられる月日の中で、4人の弟と妹の面倒を見ながら学校へ通う。
③ 高校を卒業し、大手の書店で働きながら勉強をしていた。そんなある日、新聞奨学生という制度を知り、新聞販売店で働きながら勉強を続け、琉球大学医学部に合格する。
④ 琉球大学では精神衛生学・心療内科に深く共感を持つ。
⑤ 医学が進歩し、医療技術も進む中で、逆に『心の病』に蝕まれる人々が増えるという矛盾、そして学校教育の中で心身疾患の学生が増加しているということにも疑問を持ち始める。
⑥ 思春期内科について本気で考える中で、「実際に教壇に立った経験もない大人が、心身症の学生に対して、はたして真実を語れるのだろうか?」という疑問に向き合いたいと考える。そして、真実をみつめたいという想いから、教員免許取得を決意する。
⑦ 琉大医学部時代には塾講師のアルバイトも経験し、教育ということにも大きな関心があった。そうした中で、医療を含め、自分自身の思い描く様々な道を教育という側面から紡ぎ始めてみようと思い立つ。琉大医学部卒業後、法政大学文学部へ学士入学・教職免許を取得し卒業。実際に高校の教壇にも3年間立ち、医学部在籍時代の想いを貫いた。
現在、理系・文系両方の領域で学んだ経験を活かし、「理系、文系の垣根をブチ破れ!言葉を科学的に見つめ、論理的思考を身につけろ!」という独特のメソッドで駿台予備校のカリスマ古典講師として活躍中。
⑧ また、幼いころの貧困生活の経験から、「東南アジア・アフリカの僻地で活躍したい」という想いを抱き、「医学と教育の殿堂となる場を作りたい」という強い思いに駆られる。実際に東南アジアの途上国に出向き、現地での交流に努め、経済的支援も含めた社会貢献活動を行っている。さらに、「東南アジアに開かれた地である沖縄と東南アジアの国々を繋いでゆきたい」と、夢はまだまだ果てしなく広がっている。今夏はカンボジアの教育省・副長官(日本では副大臣)と対談し、日本とカンボジアのより深い教育の繋がりを一層心に誓う。
(3)沖縄との関わり
① 琉大医学部時代は、授業料免除やアルバイト等によって、学費や生活費をまかなうなど、苦学の末、親からの仕送りは一切なしで卒業を果たす。
② 沖縄で過ごした経験が沖縄への熱い思いの原点となっている。東京で予備校講師として活躍しながらも、琉球放送のラジオ番組「鳥光宏の熱血塾」のパーソナリティとして3年半沖縄のリスナーに親しまれた(2005年~2008年)。また、沖縄タイムスのコラム「唐獅子」の執筆(2011.7月~12月)、駿台サテネットを視聴する昭和薬科大学付属高校からの熱い要望により、6年間に渡り毎年来沖し、特別講座を任されている。
③現在は、日本各地からの講演・講義の依頼を受けながら、次は世界を駆け巡る「夢プロデユーサー」となることを目指して活動中。
★(追記)
自己紹介の一部として、私の関わっている活動について、エッセイ風の記事も含めて付け足しておきます。
~カンボジア教育の現状、そして、内戦後の地雷原を取材して~
⇒私は、この数年、カンボジアの教育省・副長官にもお会いする機会をいただき、また、バッタンバン大学・プノンペン大学の副学長ともお話をさせていただきました。彼らも皆、日本との教育的な繋がりを心から望んでいました。コミュニュケーションとは、日本国内だけのことではありません。海外にも目を向けてみましょう。そして、海外といっても、決して欧米一辺倒ではないはずです。逆に、日本と地理的に近い東南アジアとの繋がりにも関心を向けてゆく必要があるのではないでしょうか?
今、私の活動の中心にカンボジアという国があります。多くの人の意識としては、「カンボジア=地雷」といったイメージがある中で、どうしてカンボジアにはこんなに「地雷」がたくさん残されたのだろうか?そして、現在それがどのようになっているのだろうか?私自身の疑問だったことを、実際に地雷原まで行って視察してきたことも含めて講義の中で少しお話いたしましょう。
「明日に向かって!」
「日本語」と背中に書かれたTシャツが気になった。12年前に訪れたカンボジア・アンコールワットの遺跡の街でのことである。
僕がそれを初めて見たのは、街の中心地からホテルに向かうためにバイタクシー(オートバイの後ろに荷台を付けたタクシー代わりの乗り物)に乗った時のことだった。そのバイタクの若い運転手が着ていたものがそのTシャツだったのだ。
バイタクが並んでいる場所でそのTシャツ姿の若者を見かけた時、「なんで、Tシャツに「日本語」と書かれているんだろう」と、それが不思議で仕方がなかった。「やっぱりわけを聞いてみよう」そう決心し、僕はその後ろ姿の青年に近づいて、取り敢えずホテルまでの送迎を頼むことにした。
「あなた日本人ですか?」運転手の少しぎこちないその日本語に、僕は少し返事に困った。なぜなら、アジアの各地を巡る時、「日本人ですか?」は、「お金を持っていますね」であり、「ボラセテモライマスヨ」と言う意味に等しかったからだ。しかし、今回はTシャツに書かれている「日本語」のわけを聞くためなので「はい」と素直に答えた。すると、僕はその青年に突然握手を求められた。その後、彼は僕に対して丁寧に礼をして、バイタクに乗せてくれたのだった。そして、彼は、ホテルまでの道すがら例のTシャツについて話をしてくれた。
「日本人凄いです、アメリカとの戦争には負けたけど、日本は世界の中心になる国になりました。私達日本に憧れています。日本人、カンボジア人に優しくしてくれてありがとう。日本人、小学校を作ってくれます。でも、前の政権が先生・医者・弁護士、皆殺しました。だから先生いない。私達勉強したいけど先生いないんです……」彼は素直な気持ちを少しぎこちない日本語で話してくれたのだった。
彼はその後、少し間を置き、「お願いがあります。先生作ってください」と唐突に訴えかけてきた。僕は、この「先生作ってください」という言葉になんと答えてよいのかもわからなくて、ウンウンとだけうなずいた。そして、僕は彼への応えをはぐらかすかのように「その、背中に日本語と書かれているTシャツは何なのですか?」と自分の疑問を一方的に投げかけてしまった。すると彼は、「私たちは、日本人を尊敬しています。だから、まずはカンボジアにある日本の会社に入るのが夢なのです。それで日本語勉強してます。毎日、小学校が始まる前に、朝5時からの人たちと6時からの人たちのために2回授業があります。だから、辛いけどみんなで頑張れるように『日本語』と書いたTシャツを作って着ています」と彼は答えてくれた。そこで、僕は驚きながらもさらなる好奇心で「それじゃ、その授業を日本人がやっているんだね?」と聞いてみた。彼は少しだけ曇った顔で「いいえ、日本人の先生高くなるからみんなお金払えない。だから日本に行っていたカンボジア人がボランティアで教えます」そう答えてくれたのだった。
僕は素直に本音をはかれ、日本人として何と答えたら良いのかわからず、頭の中の扉をあちこちノックしてみたけれど、うまい答えは出てこなかった。「尊敬する日本人のあなた、今日はあなたをホテルに送れて嬉しいです。」そう言われて一層僕は言葉に詰まってしまったのだった。
こうして彼から話を聴いていると、いつの間にかにバイタクはホテルに到着していた。その間僕はほとんど言葉を返せなかったが、最後に、心の奥底でくすぶっていた気持ちをなんとか言葉に表した。「一緒に先生作ろうね!」僕がそういうと、彼はキラキラとした瞳で「ありがとう、お願いします!」と握手を求めてきた。
僕はあてのないこの誓いをいつか果たしたいと心に決め、バイタクを見送った。
僕はいくつもの旅を通して分かったことがある。それは、アジアの国々では我々日本人を尊敬してくれ、目標にしてくれる人々がたくさんいるということだ。もし、大学生の君たちが、「一体何のために自分は勉強するのだろう?」と疑問に思っているのなら、僕はこんな風に答えたい。
勉強は、もちろん自分の将来のためであることに間違いはないはずだ。しかし、まだまだ世界にはリーダーを求める人々がたくさんいる。その人々を引っ張っていくには、君自身の力が十分になければそれは叶わない。これから先、僕らを目標にしてくれているたくさんの人々に出会ってみれば、君もきっともっと勉強しようと思えてくるはずだ。病気になって助けてほしい人がいる。もっと勉強したいと切望する人がいる。君が今大学で学び、力をつけてゆくのは、将来君を慕い、君に夢を託す人々の力になるための第一関門なのだと僕は思う。大学というのは、ある意味「周囲が認めてくれた人生での4年間の休日」なのかもしれない。自分がいかようにも創造可能な人生の休日を今どのように過ごしているだろうか?そしてこの休日をその先の人生の大きな飛躍の糧に出来ているだろうか?
今日はそんなことを考えてみる大きなチャンスの日になってくれることを願いたい。
「明日に向かって!」この講義が終わったら、また君の一歩を踏み出してほしい。
2・3の目標達成のために
⇒今回のテーマである「コミュニュケーション」についての予習をしておきましょう。
・コミュニュケーションツールとしてはどんなものがあるでしょうか?思い浮かぶものをいくつでも書いてみましょう。
→
・「自己分析」の仕方は様々あると思います。次にあげる質問に素直な気持ちで答えてみてください。
(1)自分の長所・短所をメモ書き程度に簡潔に書いてください。
(2)(1)を他人に伝えるとしたら、どのように伝えますか?相手によく分かるように「自分」という人間について説明してください。
4:「言語コミュニュケーション」というこの講座は、「これから頑張って他者の気持ちを汲み取ってみよう!もっと他の地域、そして世界の人々と繋がろう!」そんな気持ちになって、自分の未来を信じ、そしてさらなる大空へ飛び立ってゆく君への応援の講座だと思っています。僕はそんな思いの中で、この教壇に立たせていただきました。ほんの少しだけでも、君の心に響いてくれたら、僕の今日の役目は達成できたと信じています。
2018年5月吉日
言語コミュニュケーション論 担当講師 鳥光 宏
鳥光 宏 公式ホームページ http://torimitsuhiroshi.com/
★以下の日程で、少年兵として地雷設置をさせられ、戦争後そのことを悔やみ、長年地雷撤去にあたってきているカンボジア人、アキ・ラー氏の「平和記念講演」を日本縦断15か所にて開催します。
今回講師を務める鳥光宏が東京・沖縄会場での主催者となります。お時間が許しましたら是非ともご来場ください。また、この講演をこれから作り上げてゆくためのチームを作ります。新しいことにチャレンジしたいという皆さん、是非ともチームの一員としてご協力ください。
2018年9月8日(土) 東京・(品川)清泉女子大
2018年9月23日(日) 沖縄・(那覇)沖縄大学
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