沖縄への想い5

琉球大学の二次試験を終え、合格発表、そして沖縄へと旅立つまでのおよそ1か月間、僕は毎日20時間近く働き続けた。つまりほとんど寝ない日々が続いたということだ。工事現場・引っ越し・交通整理その他もろもろ詰め込めるだけド短期のアルバイトを詰め込んだ。

これから先、家からの仕送りは一切あり得ない。だからできるだけ旅立つ前に授業料・生活費を蓄えようと思ったからだ。それまでに新聞配達で得た給与はほとんど家に入れていたから、残った僅かな貯えと、ド短期バイトで得たお金を握りしめ、僕は沖縄の地を踏んだ。

現在の国立大学 授業料は535,800円  入学金は282,000円

1975年の国立大学授業料は36,000円 入学金は50,000円

この差は凄いよなあ!!そして、僕の入学当時は

授業料は216,000円   入学金は10,000円

入学金と授業料、そして入寮費を支払ったら、手元には10万円そこそこしか残っていなかった。

「や、や、やばい!後期授業料が支払えない!というか、毎月寮費を支払ったら、5か月しかもたないし。教科書すら買えない!」

昨日までの別天地感から、現実が

 

gaaaaaaan!!!!!

 

と目の前に突き付けられた。

沖縄についたその日に危機感を感じた。そこで、僕はすぐに学生課に行ってアルバイトを探した。

「あれ?なんて塾のアルバイトの多いんだろうか?」そうそう、家庭教師もかなりあった。どうやら沖縄では、戦中、戦後の混乱で親自身が勉強の機会がなかった分、子供には勉強させたいというありがたいほどの子供への学力投資の熱心さがあるようだった。

僕は早速3件の塾を紹介してもらいアポをとった。すると3件ともすぐに面接に来るようにと言われた。この素早さには正直面くらった。まだ履歴書を書いていない。しかし、こういうのは早い者勝ちと考えて、とにかくスピードを上げて対処した。

はじめの2件、その場で塾長に気に入られ、「明日からでも来なさい」と言われてしまった。だが、それは逆に困った。ラストの1件があるし、2つやるわけにもいかないし………。

その2つの塾にはほかの面接もあることをきちんと伝えると、逆に好印象を持ってもらうという思いがけないことが起きた。「とにかく君はいい待遇で迎えるから。待ってるよ」と言ってもらえた。何ともありがたい滑り出しだった。

そして僕は最後の面接へと向かった。

すると、そこの塾長にも気に入られた。

 

のは、いいのだが、塾長は「ちょっと待ってよ」というと、いきなり教科書を持ってきて僕に手渡した。

「明日から来てね。夕方6時から9時ね。はい、全部最初のページから。頼んだよ」と言って教室に入っていってしまった。僕は「あ、はい、あ…あのお~…」って感じで教科書を持ったまま立ち尽くしていたが、しばらく待っても塾長も誰も教室からは出てこないので仕方なく教科書をもって寮に帰った。

 

戸惑いながらも、久しぶりに見る中学校の教科書がなんだか懐かしかった。僕は英語の教科書をペラペラとめくりながら、「どうやって教えようかなあ」なんてまんざらでもなくにやけていた。

そう、元来お節介な僕にはきっと教師という職業は合っているたのかもしれないなと今は思う。

 

「そういえば」と、小学校時代のことを思い出し始めた………

 

次回はほんの少し、小学校時代の僕にタイムスリップしてみようかなと思う。

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