このところ、「父の想い出」を書き連ねていたら、妹からメールが届いた。
自分の書いた文章を読んでくれて、心に何か響いてもらえることがとても嬉しい。
「父の想い出」の最後は「妹からの便り」になったようだ。
妹・京子からのメール
しばらく忘れていたお父さんの優しさ、楽しさ、強さ、そして誰よりも臆病で気の弱いところを思い出しました。
お兄ちゃんと違って、双子の末娘である私たちは、いつもお父さんにかわいがられていて、幸せだったんだなとつくづく思いました。
それなのに、お父さんとお母さんが死んでからは、お母さんの事は思い出して、会いたくなるのはお母さんばかり。お父さんはずっとずっと昔のご先祖様の様で、思い出すことはなくなっていました。
私はあの時の光景を今でも忘れない。
それは、亀有病院に入院中のお父さんに会うために、沖縄からお兄ちゃんが帰ってきた日のこと……。
お父さんは、お兄ちゃんの姿を見た時に、病状が悪化していて腹水で起き上がれない程の大きなお腹をしていたのに、病室に入ってきたお兄ちゃんを見たとたん、お兄ちゃんに向けて両腕を思い切り伸ばして、まるで子供がお母さんに抱っこを迫る様に「お兄ちゃん、お兄 ちゃん、・・・・・・宏!」って言った姿。それしか、今の私にはお父さんの事で思い出せることがないの。
お父さんは、私がベッドサイドの一つしかない椅子に座っていることも忘れて、私の事なんか目に入ってなくて、お兄ちゃんしか見えていなかった。
見栄っ張りで、強がりだけのお父さんが、かわいいかわいいで育ててきた末娘の前で、大粒の涙を流して泣いていたことしか私の記憶にはない。
時々、馬鹿な〇〇(弟)が私の所に来るけど酔っ払って何回か言っていた事がある。
「親父が、最期にお兄ちゃんって言ったことが悔しい」と。
幼い頃、〇〇は、お父さんには一番可愛がられていたはずなのに、馬鹿なやつだとしか思えない。
お父さんの葬儀でお兄ちゃんがみんなの前で挨拶をしたとき、「5月に生まれて5月の空に帰っていった」という挨拶をしたのを思い出しました。
私は、時々お母さんによく似ている と言われる事がある。(〇〇に言わせれば「外見だな、母ちゃんは世界一だから中身は似てねえよ」と)
できちゃった婚だったり、旦那が酒癖悪かったり、それでも見捨てられず何かあれば△△ちゃん(元旦那)に手を貸したり、・・・女手一つで子供を育てたり(あら、鳥光家は母子家庭ではなかったわね 笑)
◇◇(長男)がよく△△ちゃんに殴られて、怒鳴られていた。その度に「パパなんか嫌い」と言っていた。きっとこの子は父親を憎んで生きて行くんだろうなと思っていた。
今ね、振り返ると子どもを産んだその日から子育てが始まって、初めての子どもとなると右も左もわからなくて、母親は自分のお腹を痛めた分だけ子育ての辛さを楽しめると思うの。でも父親は、どうしていいものか、本当に右も左もわからない状態が 続くんだと思うのよ。だから、少し余裕が出来た頃に生まれて来た二人目の子どもはかわいがることができるのだと思う。
私の場合、二人目が女の子だったけど、お父さんの場合二人目も男の子だった。だからたくさんかわいがることができて、かわいがる事が自分の子どもに対する愛情だと勘違いしたまま過ごしてきたのかな。
でもさ、今でもお父さんの事をこんなに深く愛している子どもは果たして誰なんだろうと、考えてしまった。
お父さんに一番かわいがられた〇〇?! 傷害を持って生まれてきた◎◎ちゃん(長女)?! お父さんが42歳の時に生まれた双子のかわいい末娘?!
今年生きていたら93歳になる。どんなおじいさんになっていたんだろう。
久しぶりに、お父さんの事を思い出させてもらえてうれしかった。
ありがとう。
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